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評判のいい人の評判はどのくらい信じられるか

(「世界中に愛をワールドメイト」とは、深見東州氏がリーダーである宗教団体である。また、同氏は、本名である半田晴久の名で、「普遍的宗教性の現れ」とでもいうべき様々な社会福祉活動を行っている。)

 三宅雪嶺が「人間は良くも言われ悪くも言われるのがよい」と言っている。…

 …日本社会では悪く言われるほうが多いと筆者は考えている。

 それよりも着目すべきは評判のいい人の態度である。人から誉められることで、いい気になっているかどうか。これが決め手になる。

 芸能人はうぬぼれてもよろしい。しかし、それ以外の仕事をする人間が評判の良さを真に受けていい気になるのは駄目である。なぜなら、自分の能力に対する反省がないからだ。

 口に出して言わないまでも、たとえば会社の六割の人から評判を得ていて「これはもらい過ぎだ。私の能力はもっと下だ」と思っている人は信用できる。相撲なら番付を見ると、強いかどうかがわかる。大関は大関、関脇は関脇だ。しかし、会社ではそういう客観的な物差しはない。それだけに自分を過大評価しがちだから、自戒する心構えが常に求められる。

 もちろん天狗になる人はいる。何らかの業績を残して天狗になるのはまだ可愛い方で、実績が何もないのに鼻を高くするような人もいる。これはどうしようもない。

 天狗になった人に共通するのが「将来はない」ということだ。「自分にはこれが足りない」という自覚がないと、人はそこでストップしてしまう。愛媛県の宇和島駅はレールの先がなかったとか。そういうふうに心の中で自分が行き止まりになっている人は大勢いるだろう。

(谷沢永一、人間の見分け方、2005、H&I)

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tag : ワールドメイト 深見東州 世界中に愛を 半田晴久 戸渡阿見

人間の見分け方

(「世界中に愛をワールドメイト」とは、深見東州氏がリーダーである宗教団体である。また、同氏は、本名である半田晴久の名で、「普遍的宗教性の現れ」とでもいうべき様々な社会福祉活動を行っている。)

まえがきから

 人間はどれほど年齢を重ねようとも、段階ごとにかならずいつもずぶの新人として、まだ知らない今までとは異なった次元へと推参するにすぎない。老いてなお奇跡的に生き生きと溌剌たる人は、十代のときから二十歳のときから、水鳥のように水面下で絶えず何事かに努めてきた結果である。年の功という異例がもしあるとすれば、それは決して自然現象ではなく、ほとんど目に見えない領域における人為に基づく発言であろう。

 世の中を動かして未来へと導く動力の湧泉は、年齢をほぼ等しくする者たち同士の、競争から自然に発する熱源ではあるまいか。~~~

 将来にそなえ満を期して我が身の熟するを待つ、なんていう綺麗事は嘘である。あれはどうしようもない怠け者の逃げ口上なのだ。二十歳のとき二十歳にして可能な最大限の智恵を身につける。三十歳にして、四十歳にして、以下まったく同じ。人生に到達点はなく仕上げはなく成熟はあり得ない。人間はどれほど加齢しようと、その段階で常に新参であり未経験である。~人間は一生を通じて休みなくあらゆる方面から試されつづけている。一瞬また一瞬の与えられた条件に対応する気働きが人生である。~~~

 人生を決定する因子は、自分以外のひとびととの関係の調節である。スポーツや芸能や囲碁将棋などを例外として、一個人における天賦の才がいかにきらびやかであっても、人間関係から完全に離脱してなおかつ個人の能力だけで生きることはできないのである。

(谷沢永一、人間の見分け方、2005、H&I)

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tag : 囲碁 将棋 対人関係 人間関係 河豚 ワールドメイト 深見東州 戸渡阿見 半田晴久

高慢な人は付き合っても何の得もない

(「世界中に愛をワールドメイト」とは、深見東州氏がリーダーである宗教団体である。また、同氏は、本名である半田晴久の名で、「普遍的宗教性の現れ」とでもいうべき様々な社会福祉活動を行っている。)

 高慢とは、「世間が自分をまだ認めてくれていない」あるいは少々の実績を「もっと大きく認めてくれ」と、体を膨らませている姿である。要するに、実態以上の待遇を求めていると考えたらいい。

 世の中はそんなに甘いものではない。実力通りに認められることすら希有である。勝つか負けるか、はっきり結果の出る相撲の世界でも、判定に時々ミスがある。本当に実力がその通り出る勝負といったら、将棋、囲碁など数少ない。

 昔から「棒ほど願って針ほど叶う」という。それが人間社会である。この世に生きている人々は、他人を誉めそやすために生きているわけではない。「もっと認めてくれ」と求めるのは無理というものだ。

 その無理を当然の権利の如く要求する高慢な人は、将来に対する視野、目標が小さい。本当に大きなことを考えている人間は高慢面をせず、着々と手を打っていく。だから高慢な人はたいしたことのない人である。しかし、注意すべき人でもある。絶対にその人の悪口を言ってはならない。自分に対して悪口を言った者をいたぶることで満足しようとするからだ。言わば仮想敵国にされ、しつこく絡まれる。彼らは常に絡む相手を探している。悪口は相手にエサを提供するようなものだ。間違っても自分が矢面に立たないことである。

 では、対応の仕方にコツはあるか。だいたい、こういうタイプは尊敬に弱い。尊敬すると見せて敬遠すれば、絶対に大丈夫である。敬して遠ざけるうちに、その人はだんだんみんなから嫌がられ、疎外されるだろう。

 高慢な人に反発したくなるのは向こうが偉く見えるからだ。実態を把握すればまったく気にならない。私が現役の頃、高慢な同僚があちこちにた。接すれば腹が立つし、気分もよくない。そこで、その人の書いた物を読む。必ずや弱点がある。「ここは致命傷だな」とわかったら、それで気が済んだ。だいたい大学教授が出版した本の函か背に関西大学教授某と書いてあったら、「関大でしか売れない本」という意味である。「試験場にその本を持って入ってよろしい」と言えば、学生が買ってくれる。その手の出版社は「先生の受講生は何人ですか」と尋ねてきた。

 いずれにしても、高慢な人は敬遠して付き合わない。そういう人は成長しないから、付き合っても何の得もない。こちらの気分が悪いだけである。

 また、高慢とは少し違うが、プライドの塊という人もいる。私がまだ助教授の頃、文学部の他の学科の助教授連中と新世界の河豚屋で飲んでいて、つい気楽に部屋の端にいた京大出身の男に「もう一杯ヒレ酒を頼んで」と言ったことがあった。この男は怒ってプリッと横を向いた。「お前にそんなふうに言われる筋合いはない」というわけである。彼がプライドの塊であることはその一瞬でわかったから、以後、その男のプライドに触らないように対処した。

 ただし、そういう人は怖くない。必ずあちらこちらでイガイガトゲトゲと、対人関係の接触事故を起こすに決まっている。人間関係に問題があれば、事を成せない。また、本職でピリッとした仕事をしていないからプライドの塊になるわけで、実力もない。事実、その男は論文をろくに書いたことがなく、それでいてなんとかの権威と自負していた。

 みんなが知っているような大論文を書いた人はニコニコしている。このニコニコと優しそうな人のほうが怖い。肩を怒らして鼻を天に向ける人は恐れる必要がない。

(谷沢永一、人間の見分け方、2005、H&I)

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